研究人生のためには

旧帝大医学部出身者の多くは一度くらいはNature, Cell, Science論文の飛び交う基礎医学の世界で華々しく活躍する自分の姿を想像したことがあると思います(地方大学では基礎医学の教官は大抵はやさぐれた単なるteacherなので想像しない)

私の学年やその前後でも実際に基礎研究の世界に進んだひともいますし、臨床畑でもかなりどっぷりと基礎医学教室に身を置いてたひとを入れるとむしろかなり大勢になります。で研究者として生きることを考えた場合のイの一番は「出発点」

具体的には自身も優秀な研究歴があり且つ「普通に会話が成立するひと」をボスに選ぶ必要があります。

ものすごくレアケースでは「鳶が鷹を産む」とか「木の股から生まれる」(青色ダイオードのひととか)がありますが、通常はぱっとしない研究歴で傍系や関連大学の教授でアガリになったところは質量とも「縮小再生産」のプロセスに入るわけです(とっととアポトーシスでもした方がよいのだけど、まあそんな教授も生きてるひとなのでメシを食う必要があります)

研究歴はわりと一見華やかに見えるひとで「普通に会話が成立」しないひと、キャッチボールでいつも暴投のひと、これは要注意です。世の中には突撃力だけってひとがいます。特攻かますのに運営能力は全く必要無いわけです。そういうひとが結果的に業績をあげて業績至上主義で選ばれて教授になる、そーいうとこに入るとかなりの確率で研究者人生を棒に振ります。ブラック零細企業的な煮詰まり感のなかで流行の「捏造」も生じやすくなる気もします。

他方で研究業績ってそこまでは華々しくないように思われるのに旧帝の教授とかになっていて普通に話も出来るってタイプもいはります。「突撃隊長」よりはこっちを選ぶ方がずっと予後良好ではあります。駅弁大学教授でこのタイプはまあ鼻にも引っ掛ける必要無いですがメイジャー大学でそんな教授は非常に有用なコネクションを幅広く持ってたりするし、そんなこだわらずに案外と籍だけそこに置いて優秀なラボに出向させてくれてまあまあ業績も出て気が付いたら若くして本学の教授になってはったなんてひとを何人か知ってます。

あと最低限のドライさは必要です。とりわけ多い事態は大学院終了前後で指導教官がアガリみたいな地方大学教授になった場合のことです。付いて行ってあげないとあかんかなって普通に義理人情を持ってたら感じることは多いと思いますが、基礎医学分野であまり早期にそんな進路取るのは「殉死」と一緒、自ら生きながら埋葬されに行くようなものなので絶対に要領よく立ち回ることを考えねばなりません。小生の事例でも大学院途中で地方大学に付いていった基礎のひと→講師でくすぶり続け、華麗に乗り換えた臨床のひと→本学教授に若くして就任、、みたいになってて、まあそりゃあそうなるわなあって感じに思ってます。