初日記:「ミスキャンパス」についての考察

公開のブログってのは作ったことないのですよねえ、まあお試しにmixi日記に載せて全くレスが付かなかった駄文でも再掲載でUPしてみます。


「ミスキャンパス」についての考察:

「ミス○○」のありようについて「性の商品化」だとか五月蝿いひとも多いですが、有名大学のミスキャンパスというのはキー局のアナウンサーの登竜門であったりして潜在的な「鉱脈」「利権」があるのは間違いありません。


さてとある女子が「ミスキャンパス」と名乗る正統性はどこにあるのか、これがかなり曖昧と思われます。よく知らんけど慶応とか聖心女子とかは「ミスキャンパス」選考に戦後すぐ?からの比較的長い歴史があるんでしたっけ? こういうとこは在校生の皆の衆のコンセンサスがあるということになってる=「正当性」があるということになるのでしょうかw
(って在校生みなに平等に選挙権があって投票率衆院選挙くらいはあると? …なんてわけないわな) 

ある意味で「ミスキャンパス」の正当性は中国史における皇帝のそれと似てるところがあると思いますw その後の活躍・業績などの後付けで「ミスキャンパス」であったことが正当化されるというか、要するにその後がよくないと「三国志」の袁術のような感じで「ブスの癖にミスキャンパスを僭称した」と後世の歴史家より評価されるわけです。けだし「徳の無い皇帝」よりもさらに神をも畏れぬ行為とも言えましょう>ブスのミスキャンパス僭称。

ただ言うまでもなく中国史における「皇帝」の名乗りは行く道を引くことは出来ず天下を統一する? or 敗死するか? なのに対し、「ミス○○」は個人史のなかの黒歴史として無かったことにされたりしてトホホ感あふれてヌルいあるという違いはありますけれども。


リアルタイムでは日記にするタイミングを逸したのですが、「自称・ミス東大」がブログ炎上させたことがありました。
http://news.livedoor.com/article/detail/3439496/
(このときは東大関係者の炎上2連発で話題でありましたね)

その辺のバックパッカーがインドの乞食を「乞食のくせに」とか書いても、まあそこまでは盛り上がらないと思われます。やっぱり盛り上がったのがこれがあからさまな僭称者であったというのが大きい。いかがわしい芸能プロダクションが他の大学の「ミス○○」とかと一山なんぼで勝手にでっち上げたのが、業者のHPに並んでてチャラチャラとw
要するに高田万由子、菊川玲、膳場アナウンサーあたりと比べて正当性があきらかに乏しい。

まあ「ミス東大」などしばらく途絶えていた(っていうか長い間公式にはなかった)タイトルに関しては特に僭称者が生じる余地が大いにあるかもしれません、。先にあげた3人も比較的「正当」でしょうが疑問なく正当かというと、要するに「五胡十六国南北朝」時代の「皇帝」みたいなもので疑問をはさむ余地はあるかと思われます。

さて「ミス東大」僭称の神輿にのるかどうか?

ここで「乗るかどうか?」の逡巡を想像するのにバルザック的な趣きを感じて、そういうのってモラリストであるあたしの大好物かも。

東大卒キャリアとして普通に卒業して就職すれば将来の高給取りを期待出来るという前提条件があるところで、そういうボロ?神輿に乗るかどうか。後世の歴史家に「ブスのくせに」と言われる危険性も高い。確かに在学生中にチャラチャラ出来るのはなかなかの愉悦ではあるかもしれませんが、、。ということで種々の「自意識」「高慢と偏見」「損得勘定」「ミーハーへの愛」「勉強以外も出来ることを証明したいという欲望」が交錯して、結局のところよりせいぜい年間1-2人でしょうかね>「ミス東大」を称する女子。


そういえばちなみに京大の方は「大空位時代」が続いてるようです。
「ミス京大」の名跡が出来るとキー局アナウンサーをだせるのをみすみす棒に振ってる、誰かがそれをゲットしたからってそのほかのひとが損するわけでもなし、とブローカー気質の人間には「モッタイナイ」と思わざるを得ないところもあります。
まあとっくに全土の政権を手放したクメールルージュが最後まである程度は支配してるジャングルの地下に香木が埋まってるようなものでしょうか?
東京の代理店の金とノウハウがあれば時代遅れの残党みたいなそんなもんの排除はどうにでもなるんでしょうけど、、この辺りは良くも悪くも関西の「地方性」という要素だとも思われます。