医療崩壊情勢下での自分の立ち位置(その1)

(承前)自分にとってのISOの損得を論じるには立ち位置をまず語ってみます、。

近年の医療崩壊で話題になってる基幹病院で救急を担ってオンもオフもなく過労死すれすれでがんばる勤務医、であたしはありません。あれは「聖職者」にカテゴライズされるべき存在でしょう。あたしはビジネスとしてたまたま医師やってるわけで、あの程度の給料で「行動半径が病院から半径20分以内」なんて絶対嫌です。話にもなりません。


…宗教の伝道でアフリカ奥地の地図にも載ってないとこに決死行とかいうなら損得どころか生還の目処もなく従事するサバイバル術に長けた聖職者の員数を揃えるのはそれほど難しくないと思うのですよ。「数人」とかで間に合いますから。でも全国津々浦々で夜間や時間外の救急医療を整備するのはものすごい数の「聖職者」が必要になります。っていうか無理ありすぎでしょ、それは。

要するに適切に分布した大勢の聖職者(っていうかむしろ奴隷w)の滅私奉公・張り付けを前提にしたロジスティックスが諸悪の根源ね>昨今の医療崩壊。そんなロジスティックス破綻して当然でしょう、。っていうか最初からロジスティックスらしきものが存在してない。


そもそも昔から一日のうち24時間・一週のうち7日・一年のうち365日拘束必至の僻地の有床診療所とか診療所に毛が生えたような小さな公的病院に一人で勤務みたいなんは超不人気。だから「無医村」問題対策で自治医大とかも作ったりしてたんですよね。バンス(多額の前借)で縛って、ドナドナドナ強制労働。
(ちなみに2009年現在の自治医大は概ね3千万円のバンスで年季が9年、それで「5年働いたので残金半分返す」ってのは出来ない決まり。年季に一日でも欠けると全額耳揃えて返さないといけないことになってる。こういう契約ってほんとに「合法」なのか? 少なくとも他の分野でこんな年季契約はまず考えもされないと思うのだけど、。余計なことだけど「自由」の価値を考えると、自治医大の偏差値は、琉球大医のそれよりかなり下になりそうなものなのに実はそうではない、ひとは「経験にしか学ばない」ということです)

でも昨今はもっと大きな自治体の中小基幹病院も崩壊。そこそこの規模の基幹病院にも「24時間・7日・365日拘束」の呪い(←ちなみにモンスターペイシャント問題とかマスコミ報道姿勢もこれに敷衍し得る)が及ぶようになったということが大きいと思いますね。大雑把な言うと、昔だったら6〜7人の内科医の誰がか順番に行けば用が足りていたのが、今は鳩尾を押さえて吐血してるとなると消化器内科専門医が胃カメラしないとあかんし、意識障害あるととりあえず神経内科専門医呼ぶとか、そーいうことになる。だからその病院に居る限りは断りもなく遠出出来ません、全員半径20分以内に居るのがデフォールトみたいな(で勿論拘束代出ません) 進化の重みによる自壊現象。勿論「過労(死)」がより問題ですが、そうでなくても、、「三丁目の夕日」の時代ならば出掛ける先もないでしょうが、今の子だとそんなん息が詰まって死んでしまいます、。

巨大総合病院みたいなところだと、消化器内科とか呼吸器外科とかそれぞれ5人以上とかなって頭割りの拘束時間は原理的にマシかもしれませんが、やはりそういうところは患者の絶対数多いしヘビーな救急多いので、やっぱ「24時間・7日・365日拘束」に近くなります。ぶっちゃけあたしも研修医の時にそういうとこにおりましたが自分の部長を将来のロールモデルとして全く!見出せなかったですw


で本来ならばより魅力の無い職場は高給でひとを釣るしか無いのですが、住むのに魅力の無い自治体ほど金(税収)もないですから、どないもなりません。あまつさえそういう病院であればあるほど自分の立場わかってない無駄飯食いロートル公務員を事務官やらでやたら大勢抱えてたりするわけです。
資本主義下では「需要と供給」でモノの値段が決定されるのがスジとも言いますが、しかし「どれだけ払えるか?」で規定されてしまうものがあるようです。ちょびっと必要なものが供給不足だと需要供給曲線でも描いてたらいいのだけど、需要があんましにも巨大だとなんだか別の力学が「薄利多売」を強制するかのような気がします。(このあたり社会学なり経済学に詳しいひとにコメント頂ければうれしいです)
いや再考。。単に5万円の商品価値のテレビの修理をするのにどれ程の技術と体力が夜中に要求されようとも修理技術料は自ずと知れている、で、その一方でこのテレビは「地球より重い」とかゆーてる人々もいる。単にそれだけの問題かもしれません。あまりに身も蓋も無さすぎかもしれんですけども。


そういえば専門しか診れない医師のアンチテーゼとして「総合医養成」とか言うてるひとが居ます、、。
これ「ワンマン・アーミー・ゴルゴ13を目指せ、常勤になってくれたら薄給進呈」って言うてるのと一緒です。本気で目指す奴居たとしたら合理的経済人の観点からすると「アホ中のアホ」です。正味なところで「体力と熱意に溢れてて親切で有能で気が利くファーストフードバイト店員(時給700円)を本気で求めるような料簡の中小企業のオヤジとビジネスの話してなにか得することがあるでしょうか?


ところで
お医者さんの仕事って<勤務時間だけ病院で外来とか入院患者の診療してる>という部分が本体、<順番に時間外当直の輪に入らないといけない&いつ生じるかわからんけど必要な時は呼ぶね&だから病院の側に常駐してれ>がトッピングみたい感じになってます。

この本体部分だけで済めばどんな田舎の医療も成り立ちます。トッピングの部分こそが「死の香り」なわけです。ちなみにトッピングの部分の手当ては給料の10%以下だったりするわけです。要領良く立ち回ってトッピングの部分を避けても(←あたしも正にこれを狙ってまあまあ良い線をいってるわけです)、収入はほぼ全く減らないのですね。

ほんまトッピング部分は要りませんw パック旅行で香港とか行ったら付いてくる土産屋さん強制連行みたいなもんで「人生の無駄」 無しで済ませられるのならば是が非でも無しで済ませたい、と。無しで済ませる進路検討のためにいかに多くのエネルギーをあたしは使ってきたことか!w

(この項、長くなったので次日記に続く)