医学の進化(定方向性進化)

ずいぶん久しぶりの日記。

医者の「専門バカ」「専門しかみれない」「タコツボ」とか言われて久しいですが、結局のところ「進化」を自動的に志向する以上、「専門分化」は「定方向性進化」(アンモナイトの渦巻きの程度の増大とかマンモスの牙の角度とか)の一種かと思います。

まあそれしかやってないひとでないと進化に貢献出来ないってことは多々あると思われますが、最近はそれしかやってないひと以外は「ついていけない」ものが多くなってきた、要するに専門でないとその技・知識を使うこと自体が不可という局面が多いなあと感じます。

別の言い方をすると・・・「地域医療」とか「救急」とか、そんなもん大昔は、「手を尽くしたのですがどうしようもありません」という上限が低かったのだけど最近は理論的にはやりえることが多い・・・が、しかし心カテもやるし緊急内視鏡で止血も出来るし最新の抗生剤の使い方も熟知しており脳卒中の最新のガイドラインもフォローしており脳MRIも骨盤部MRIも読める、なんてのは人間の能力を超えてるわけです。


こういう進化の重みそのものも「医療崩壊」の決定的に大きな要素。そのうち弱小のところで大学医局まるごとのバーンアウトが生じると思うのですが(「どこが危ない」とかここで書くのは自粛)・・


以上の状況は、ある程度スマートなひとなら当然読んでるので、次の教授になるべき今40歳代前半のひとらの「淡白さ」はっきりいえば「やる気のなさ」はそういう目で見ればはっきりしてます(実際、以前と比べて医学論文の数が減ってる) アリバイ的にどーでも論文だけは産出してたりはするけどあまり引用もされてへんかったり。

旧帝大の講師・助教あたりの論文作成数見てもねえ・・余計なことだけどこんな時代に捏造してまで論文を超大量に書いてあまつさえそのインチキがバレて自殺したなんて鹿児島大学の某ナンバーズ内科の話とか「田舎モンだなあ」としかいいようがありません。