「スローライフ」志向

大昔には当然のことながら「スローライフ」なんて概念は無かったわけです。つーか普通はかなりそれなりに必死に生きてた筈で、。
晴耕雨読」とか近い用語はありますがちょっと違うような(?) 晴耕雨読っていうとセミリタイヤとか隠遁とか、まあ前提として普通のひとより財産家であるとか老齢で若い者に孝行してもらえるって含みがあると思います。

最近はLOHASの道を追求していって(道を踏み外して?)離島で自給自足とかやってる変なひとも時々は話に聞きますけど、ここまでくればミイラ取りがミイラの類ひの話ですよね。まあさすがに離島で自給自足は極端としても、そういう方向へのトンガリ方も昔なら玄米菜食くらいでも充分先鋭的な部類だったでしょうけど、今だったらかなり気合いの入ったマイクロビオティックとかヴィーガンぶりを誇示せんとその道でメシをくえんわけでなかなか大変そーです。

一部の女性雑誌(クロワッサンとかも最近はややこういう方向?)には時々そーいうLOHAS教祖が載ってたりしますが、まあでも大抵の人が「スローに生きたい」ってのは、、結局のところ端的にいえば「他人があくせく働いてる余録で自分だけはまったり過ごす」ってことだと思います。・・キチガイLOHAS教祖=修業してる姿を恩着せがましく誇示して投げ銭みたいなんでシノぐ乞食坊主や山伏、のお為ごかし・お題目をそこまでは真に受けへんかったらね。

バブル時代には、時々自動車関係の季節工とかで小銭稼いでは残りの期間海外でバックパッカーやってるフリーターとかいはりましたけどね。ああいうのがLOHASでもないスローライフのプロトタイプでしょうか。あの連中今どうしてんでしょうかねえ?w 実家というセーフティネットが貧弱な場合だとどっかのネットカフェとか携帯派遣で朽ち果ててはるかもしれんですけど、。今にして思えば、大して生産性も無いし実家が金持ちとも限らん人々でも(要するに低スペックでも)その気になれば先進国の国民ってだけで、国境間の「差異」の位置エネルギーによって、自動的に「他人があくせく働いてる余録」にあずかれたってことですね。
しかしグローバリズムとやらで旧発展途上国の一部のひとらが急速にパイの分け前を確保出来るようになってその辺の差異が急速に損なわれました。単に先進国に生まれたってだけの既得権がだいぶ損なわれたことへの反動的抗議がOWS(occupy wall street)となっているというのは否定し難い構図でしょう。

OWSがどーのとかいうのはあたしのテーマでは無いのですが、結局のところここでもまた例の「団塊の世代」が、馬鹿でも出来るスローライフ(革命ごっことか学生運動崩れの塾講師とか飲み屋とか)を実践して人生を全うし得た唯一の世代だなあとつくづく思います。

さて個人的には親からの財産でも無い限り馬鹿にはこの期に及んではなかなか出来ないLOHASでも無いスローライフを実現したいものだと思ってますが、あたしの才覚では定時生活がやっとですね、今のところ。